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6月6日 第1回 歴史文化教室(大洲・松野・宇和島)

 令和8年度第1回目の歴史文化教室が開催されました。今回は、豊臣秀長(秀吉)の家臣として活躍した築城の名手 藤堂高虎が建てた3つの城を巡ります。今回の参加者は、児童19名、指導者・保護者5名、計24名でした。なおこの事業は、財団法人 桝山教育振興会の支援により実施しております。

 まず、開催にあたって、大洲市立博物館において開講式を行いました。今年はお城がテーマであること、大洲をはじめ他の地域の歴史や文化を学ぶことで改めて大洲の良さに気付くこと、参加しているみんなと交流を図ること、などの話がありました。

 いよいよ出発です。博物館から徒歩で大洲城を目指しました。肱川橋で大洲城の立地状況や、肱川橋の欄干に付けられた肱川橋第1号の橋脚に使われていた煉瓦について話を聞きながら観察しました。

 大洲城は、台所櫓と高欄櫓が連結した複合連結式層塔型4重4階の天守で、現在の天守は戦後復元された4階建て木造建築としては唯一の天守です。これは、戸田勝隆、藤堂高虎が近世の城郭として整備し、脇坂安治、加藤家が現在のような天守をはじめとする建造物を造り上げたこと、高虎が朝鮮出兵したときに儒学者姜沆を連れ帰ったこと、現在の天守台遺構からは高虎建築当時のものかもしれない遺構が確認されたこと、石垣の積み方の特徴などを学びました。

 続いて、河後森城に行きました。ここは、愛媛県最大規模の中世の山城です。この城は、高虎が宇和島城へ入城したときに、ここにあった天守を移して月見櫓にしたと言われています。17もの曲輪が馬蹄形に造られてあり、本廓まで登りながら、井戸や曲輪など山城の仕組みを学びました。本郭からは藤堂高虎時代のものとみられる石垣や瓦などが出土しています。本郭からの眺めは、最高でした。

 最後に、宇和島城を訪れました。宇和島城は藤堂高虎が築き伊達家が発展させた、三重三階層塔型の天守をもつ現存12天守のひとつ、国の重要文化財です。縄張のとり方、石垣の積み方、櫓の配置など、築城の名手と呼ばれる高虎の難攻不落の工夫が至る所に織り交ぜられていることを学びました。今の天守は、江戸時代になり平和な世の中になったことを受けての改築によってできた形であることも知りました。

 子どもたちは、3つの城を熱心に巡り、藤堂高虎のすごさを改めて感じ、城郭に対する興味関心を深めたようでした。