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7月11日 第2回歴史文化教室(今治)

 7月11日(土)、第2回(通算191回)歴史文化教室が開催されました。今回は、城シリーズ第2弾「藤堂高虎が造った城  今治城、中世城郭 来島城」として、今治の歴史や文化を学習しました。参加者は、児童18名、指導者6名、合計24名でした。梅雨明けを思わせる真夏のような太陽が降り注ぐ中でしたが、みんな熱心に話を聞き、学習を深めていました。なお、この事業は桝山教育振興会の支援を受けて実施しています。

 まず、しまなみ海道の3連吊橋で有名な来島海峡大橋を渡って大島に渡り、下田水港からしまなみ来島海峡遊覧船に乗船して、海からたくさんのことを学びました。

 乗船すると、みな救命胴衣を着用して、出発です。船には、運転手さんとガイドさんの二人がついてくださいました。

 来島海峡大橋を下から見上げながらさっそうと船が進みます。

 この辺りには、来島村上水軍の遺構がたくさん残っており、最初に見た武志島(むしじま)や中渡島(なかとしま)もその一つでした。

 小島(おしま)には、日露戦争のときの砲台跡や弾薬庫、指令塔などが残っているそうです。中に入ってはいけませんでしたが、海岸端に大砲のレプリカが設置されており、戦争を少し感じることができました。

 今回の学習のメイン、来島です。鉄塔が建っているところあたりに、主郭があったそうです。また、海辺に建つ八千矛(やちほこ)神社は、海に向かって建てられています。これは、船の上から安全を祈願するためだそうです。また、この島は古くから「神の島」としても崇められてきました。島内には墓地を設けず、対岸の大浦に墓地を構えて死者を弔い、犬や猫など四つ足の動物を飼うことも禁じられていたそうです。なので、今も猫などはいないということに、驚きを隠せませんでした。

 来島村上氏については、村上三家の一人としてこの芸予諸島を支配して、潮流の激しいこの海域を通航する船からお金を取り安全に航行させ、それに従わない船には容赦なく襲うといった海賊のような働きをしていたことを配付資料で学びました。

 続いて船は波止浜湾へ。ここには、造船所が5つもあり、大きなたくさんのクレーンがある所で巨大な船が何そうも建造されていました。その大きさには、みんな圧倒されていました。ところがそんなに大きな船の建造期間がたったの半年とは、驚きです。

 大きな船の船尾に回った時、金色のピッカピカに磨かれたスクリューの大きさとその金額に、またビックリです。

 世界有数の造船技術をもった日本、今治を誇らしく感じました。

 午後からは、今治城を見学しました。今治城は、藤堂高虎が伊予で最後に建造した城です。築城の名手と知られた高虎は、自然砂丘を利用して、海水による内堀・中堀・外堀の三重の堀で囲う広大な海城、そこには櫓や桝形門で固めた要塞を造り上げたのでした。残念ながら、今は内堀のみしかなく、高虎が造った層塔型五重天守があった場所には吹揚神社が建てられていますが、当時の石垣は健在で、現在は望楼型五層六階の模擬天守、鉄御門、武具櫓、山里櫓、御金櫓などが復元されています。

 今治城では、学芸員の先生からお話を聞きました。

 内曲輪へ向かう土橋を渡りながら、堀には海水を引き込んでいるため海の生き物たちがいることをしりました。

 鉄御門(くろがねごもん)の桝形(ますがた)では、鉄壁の守りであったことと併せて、石垣の特徴《近くでとれた石のため、貝がらが付いていたり貝があけた穴があったりすること》を学びました。鏡石である大きな勘兵衛石はお城の威厳を感じることができました。

 続いて、高虎築城の真骨頂でもある犬走に特別に入らせていただきました。潮が高くなるとこの犬走は水没してしまうということで、そこを歩くことができたのは大変ラッキーでした。この犬走は、砂浜の上に石垣を築くことから地盤が弱いという弱点があり、地盤強化の方策として犬走を造ったということでした。そんなところまで知っている高虎のことが、素晴らしく思えてきました。この造りがあったからこそ、高いところで13mという石垣ができあがったのです。今治城の雄大さという緻密さを改めて感じることができました。

 最後に、天守に上りました。約28mの高さからの眺めは、実に素晴らしいものでした。きっと、高虎もここから今治の更なる発展を思い浮かべていたことでしょう。

 ただ、その2年後には伊勢・伊賀に国替えとなり、天守も丹波亀山城へ移築されてしまったのは残念に思いました。

 

 第2回の歴史文化教室は、中世と戦国の城について学びました。また、今治の海の自然やそこから発展した造船業も見て感じることができ、大変勉強になりました。そして、楽しかったです。